葬儀の豆知識 | 服装マナー
喪服が黒い理由|日本の「喪の色」の歴史を解説

「お葬式は黒い服」が当たり前ですが、なぜ黒なのでしょうか。実は、かつての日本では白が喪の色でした。この記事では、喪服の色が白から黒へと変わった歴史的な背景や、地域に残る風習について詳しく解説します。
喪服はなぜ黒いのか、その理由を深く考えたことはありますでしょうか。現代の日本では、お葬式に参列する際は黒い服を着ることが当たり前のマナーとなっています。しかし、その歴史を紐解くと、かつての日本では「白」こそが喪の色でした。白から黒へ、いつ、どのようにしてその習慣は変わっていったのでしょうか。この記事では、日本の葬送文化における喪服の色の変遷を、歴史的な背景とともに詳しく解説します。また、現代にも残る白い喪の文化や、地域による違いにも触れていきます。葬儀の服装に込められた意味を知ることで、故人を偲ぶ気持ちをより深く表現できるかもしれません。
古代から中世の日本で喪の色は白だった
現代の感覚とは異なり、古代から中世にかけての日本では、死や弔いを表す色は「白」でした。その背景には、日本古来の死生観や宗教観が深く関わっています。当時の人々にとって、白は特別な意味を持つ色だったのです。
古事記・日本書紀に見る「白」の役割
日本の最も古い歴史書である『古事記』や『日本書紀』にも、葬送儀礼で白い布や衣服が用いられた記述が見られます。古代の神道において、死は「穢れ(けがれ)」と捉えられていました。一方で、白は神聖さや清浄さの象徴であり、穢れを祓い、物事を本来あるべき姿に戻す力を持つ色だと信じられていました。そのため、葬儀において白装束をまとうことには、故人と遺族の双方の穢れを清め、故人の魂を安らかに神々の世界へ送り出すという意味が込められていたと考えられています。
死と再生を象徴する色
白は、単に清浄さを示すだけでなく、「再生」や「新たな旅立ち」を象徴する色でもありました。故人がこの世での生を終え、新たな世界へと旅立つ。その門出に際し、清らかな白い衣装をまとわせることは、ごく自然なことだったのです。この考え方は、後世の武士が切腹の際に白装束を着用したことにも通じると言われています。死に臨む際の正装として、白が選ばれたのです。このように、古来の日本では白という色に、以下のような意味合いが見出されていました。
- 神聖と清浄:神々に通じる汚れのない色
- 穢れの浄化:死による穢れを祓う力
- 再生と旅立ち:新たな世界への出発を象徴する色
黒が主流となった現代でも、故人様にお着せする死装束(経帷子)が白いのは、この古い習慣の名残と言えるでしょう。
明治期に黒い喪服が広まった理由
日本の喪の色が白から黒へと大きく転換するきっかけは、明治時代に訪れました。文明開化とともに押し寄せた西洋文化の波が、古くからの葬送の習慣にも影響を与えたのです。では、喪服はなぜ黒いという認識が広まったのでしょうか。その背景には、皇室の葬儀と、欧米の価値観の導入がありました。
西洋文化の流入と皇室の葬儀
明治維新後、日本は近代国家を目指して欧米の制度や文化を積極的に取り入れました。その一環として、服装も国際的な標準に合わせる動きが加速します。当時、欧米の王侯貴族の間では、葬儀で黒い喪服を着用するのが公式なマナーとされていました。黒は、キリスト教文化圏において深い悲しみや哀悼の意を示す色だったのです。
この習慣が日本で広まる決定的な出来事が、1897年(明治30年)の英照皇太后(孝明天皇の女御)の大喪の礼、そして1912年(明治45年)の明治天皇の大喪の礼でした。これらの国家的な葬儀において、政府高官や外国の要人たちが黒い礼服(モーニングコートなど)を着用したのです。この様子が新聞などで広く報じられたことで、「公式な弔いの場では黒を着用する」というイメージが国民の間に強く印象付けられました。
黒が持つ色の意味の変化
それまで日本では、黒は不吉な色、あるいは日常的な色という認識もありましたが、西洋文化の影響で「厳粛」「格式高い」「悲しみの表現」といった新たな意味合いを持つようになります。光を吸収し、すべてを内に秘める黒は、故人への深い哀悼や、遺族の悲しみに寄り添う色として受け入れられていきました。現代の葬儀における服装マナーも、この明治期に生まれた価値観が基礎となっています。
白から黒へ──庶民に定着するまでの流れ
明治時代に政府や上流階級から始まった黒い喪服の習慣は、すぐに庶民の間に広まったわけではありませんでした。高価な黒い紋付の着物を、すべての家庭が弔事のたびに用意するのは経済的に難しかったからです。黒い喪服が一般に定着するまでには、大正、昭和へと時代が移る中での社会的な変化が必要でした。
貸衣装の普及と黒の一般化
黒い喪服の普及を後押ししたのが、大正時代から昭和初期にかけて登場した「貸衣装屋」の存在です。葬儀の際に黒い紋付の着物をレンタルできるようになったことで、庶民も手軽に黒い喪服を着用できるようになりました。また、黒という色は、他の色に染め直しやすかったことも普及の一因と言われています。白い喪服は汚れが目立ちますが、黒であれば他の色から染め直して作ることも可能だったのです。こうして、都市部を中心に徐々に「葬儀には黒い和装」という習慣が根付いていきました。
和装から洋装への変化
第二次世界大戦後、日本の生活様式は急速に洋風化します。それに伴い、喪服も和装から洋装の「ブラックフォーマル」へと主流が移っていきました。洋装は和装に比べて動きやすく、手入れも簡単で、社会生活の変化にも適していました。この洋装化が、黒い喪服の全国的な定着を決定づけたと言えるでしょう。以下の表は、日本の喪服の変遷をまとめたものです。
| 時代 | 主な喪の色 | 主な服装 | 背景・特徴 |
|---|---|---|---|
| 古代〜中世 | 白 | 白い麻の着物など | 死を「穢れ」とし、清浄な白で祓う神道の考え方が中心でした。 |
| 明治時代 | 白と黒が混在 | 和装(白・黒) | 西洋文化の影響で皇室・上流階級から黒が広まり始めました。 |
| 大正〜昭和前期 | 黒(徐々に) | 和装(黒紋付) | 貸衣装の普及により、庶民にも黒い喪服が定着し始めました。 |
| 戦後〜現代 | 黒 | 洋装(ブラックフォーマル) | 生活の洋風化により、手入れが容易な黒の洋装が主流となりました。 |
このように、喪服の色は時代の価値観や生活様式の変化を映す鏡と言えるかもしれません。
正喪服・準喪服・略喪服という区分の成り立ち

黒い喪服が一般化する中で、故人との関係性や参列する立場によって服装の格式を分けるという考え方が生まれました。それが「正喪服(せいもふく)」「準喪服(じゅんもふく)」「略喪服(りゃくもふく)」という区分です。この考え方は、西洋のフォーマルウェアにおけるドレスコードの概念が、日本の冠婚葬祭の文化に取り入れられたものと言えます。
葬儀の形式と服装の格式
葬儀は極めて格式の高い儀式です。そのため、主催者側である遺族と、弔問する側の参列者とでは、求められる服装の格式が異なります。最も格式が高いのが、喪主や三親等までの近親者が着用する「正喪服」です。それに対して、一般の参列者が着用するのが「準喪服」で、現代の葬儀で最も広く見られる服装です。「略喪服」は、急な弔問や三回忌以降の法事などで着用される、より簡略化された服装を指します。
それぞれの喪服の特徴
喪服の種類は、故人への敬意と、その場にふさわしい弔意を示すためのものです。それぞれの特徴を簡単にまとめます。
- 正喪服:最も格式の高い喪服。男性は和装の黒紋付羽織袴やモーニングコート、女性は黒無地の染め抜き五つ紋の着物やブラックフォーマル(ワンピース、アンサンブルなど)が該当します。主に喪主や近しい遺族が着用します。
- 準喪服:一般的な喪服。男性はブラックスーツ、女性はブラックフォーマルを指します。遺族、親族、一般参列者を問わず、現代のほとんどの葬儀で着用されています。
- 略喪服:平服に近い服装。男性はダークスーツ(濃紺やチャコールグレーなど)、女性は地味な色のワンピースやスーツを指します。「平服で」と案内された場合や、お通夜への急な弔問の際に着用します。
どのような葬儀を執り行うか、またどのような服装で参列すべきか、ご不安な点は多々あるかと存じます。地元で39年、累計1万件超のお葬式をお手伝いしてきた弊社では、無料の事前相談も承っております。ご予算やご希望に合わせたプランをご提案し、お見積り通りの明朗会計でご案内いたしますので、安心してご相談ください。
今も各地に残る白装束・白い喪の名残
喪服はなぜ黒いのかという問いの答えは、明治以降の歴史にありました。しかし、黒が主流となった現代においても、日本の葬送文化から「白」が完全に消えたわけではありません。古来からの白い喪の習慣は、形を変えながら今なお私たちの身近なところに息づいています。
故人がまとう「経帷子(きょうかたびら)」
白い喪の名残として最も象徴的なのが、納棺の際に故人様にお着せする「経帷子(きょうかたびら)」をはじめとする白装束です。これは、故人が仏の弟子となり、浄土へと旅立つための巡礼者の姿を模したものとされています。手には手甲、足には脚絆をつけ、頭には三角の布をつけます。この姿は、古来の「白=清浄・旅立ち」という考え方が仏教思想と結びつき、現代まで受け継がれている何よりの証拠です。私たちは、大切な方を送り出す最後の場面で、最も古い喪の形に触れているのです。
地域に残る白い喪の風習
全国的ではありませんが、一部の地域では、ご遺族が葬儀の際に白い衣服を着用する風習が今も残っています。例えば、千葉県の一部地域や、特定の宗派の儀式などで見られることがあります。これは、黒い喪服が普及する以前の習慣が、その土地の文化として大切に守られてきた例です。
私たちが葬儀のお手伝いをする山形市・郡山市・宇都宮市・壬生町周辺でも、その土地ならではのしきたりが大切にされています。例えば、火葬を先に行い、ご遺骨の状態で葬儀を執り行う「骨葬」など、地域によって葬儀の進め方は様々です。喪服の色だけでなく、葬儀の風習は地域ごとの歴史や文化を色濃く反映しています。弊社は、山形・郡山・宇都宮・壬生に自社の斎場を9館構え、そうした地域の慣習にも精通したスタッフが、心を込めてお手伝いいたします。
「喪服はなぜ黒いのか」という問いを辿ると、それは明治時代の西洋化をきっかけに、日本の伝統的な死生観と融合しながら時間をかけて定着した文化であることがわかります。一方で、故人が旅立ちの際にまとう白装束や、一部の地域に残る風習には、古来からの「白」に込めた祈りの心が今もなお受け継がれています。当たり前だと思っていた葬儀のしきたり一つひとつに、先人たちの想いや歴史が刻まれているのです。ご自身の家族や地域の風習に思いを馳せてみることも、故人を偲ぶ一つの大切な時間となるかもしれません。
よくあるご質問
❓ 昔の日本の喪服は何色だったのですか?
古代から中世にかけての日本では、白が喪の色とされていました。白は神聖さや清浄さを象徴し、死の穢れを払うという意味合いがありました。故人にお着せする白装束(経帷子)にその名残が見られます。
❓ 喪服が黒になったのはいつからですか?
明治時代以降、西洋文化の影響を受けて徐々に黒が定着しました。特に、皇室の葬儀で政府高官が黒い礼装を用いたことが大きなきっかけとなり、大正から昭和にかけて貸衣装の普及とともに庶民にも広がりました。
❓ 喪服の黒にはどんな意味があるのですか?
西洋文化において、黒は深い悲しみや哀悼の意を表す色とされています。また、光を吸収する色であることから、悲しみを内に秘める、故人を静かに見送るといった厳粛な意味合いも込められています。
❓ 今でも白い喪服を着る地域はありますか?
はい、全国的ではありませんが一部の地域や宗派では、ご遺族が白い衣服を着用する風習が残っています。また、故人様にお着せする死装束は、現在でもほとんどが白装束であり、古来の習慣が受け継がれています。
❓ お通夜と告別式で服装は変えるべきですか?
現代では、お通夜も告別式も同じ準喪服(一般的なブラックフォーマル)で参列するのが一般的です。ただし、急な訃報で駆けつけるお通夜の場合、略喪服(ダークスーツなど)でも失礼にはあたらないとされています。
❓ 夏場の葬儀でもジャケットは必要ですか?
はい、夏場であっても、式典中は男女ともにジャケットを着用するのが正式なマナーです。会場への移動中や、屋外で待機する際には上着を脱いでも構いませんが、焼香など儀式の場では必ず羽織るようにしましょう。
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